上之保の三十三観音塔とは
観世音菩薩は三十三種の変化身で、この世に示現すると「観音経」に説かれている。ふつう三十三観音と称 されるのは、三十三の変化身に基づいた三十三体の観音ではなく「西国三十三ヶ所」・「坂東三十三ヶ所」・「秩 父三十三ヶ所」などの観音霊場にちなんだものである。したがって観世音菩薩を本尊として祀る三十三ケ寺巡 礼するものは功徳を得られたと信じられていた。
一般的な観音像の石仏は、光背型の石に像を一体ずつ浮き彫りにしたものが多い。しかし一石 に三十三観音を浮き彫りにしたものは全国的にも数は少なく、中部地方では美濃・伊那・三河地方 に38基だけである。そのうち上之保地区には9基もあり、これだけ集中して造立されている地区は 全国的にもなく、信仰の深さを物語っている。
上之保地区にある9基の三十三観音塔は、川合・古場の正徳二年(1712年)から鳥屋市・倉洞 の元治元年(1864年)まで約150年の間に造られており、一時的流行で造られたものではない。 また、9基の三十三観音塔は、彫刻・形・付属物などそれぞれ異なっており、各々の味わいを出して いる。当地区には、これらの石碑に使用されている石材はなく、おそらく製品、あるいは半製品とし て搬入されたものであろう。
(参考資料:平成12年発行「上之保村史誌」より)
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